今日の雑記

生きることでいっぱいいっぱい

やりこみ

http://d.hatena.ne.jp/ABA/20050214
相変わらずコメントでは無くトラックバックで。すまんのお。しかも今回はそれなりに簡潔に、って、ならコメントにしろよってな。

作り手としてやっぱり楽しいのは、

システムとして用意されている、幅広い(隠し)要素を網羅するためにやりこむ(幅のやりこみ)

↑これが、システム、遊びの幅、要素として用意できた時、なんですよね。やっぱ作ってる側として一番遊べるのはココだし。「作り手のご褒美」と言ってしまっても良いかも。

じゃあ、

やり込み要素の高いゲームなんかもはや迷惑以外のなにものでもない…。
エンディングが複数ある奴なんかも困る。

というのが果たして本当に迷惑か?と言われると、ゲームオジサンとしては「いや、まあ、そうかもしれないけど、そう断言もできないかも。」と言ってしまうなあ。
確かに、最近めっきりお目にかかってないけどね。そういう意味では賛成。

ちょっと下って、

個人的にはスコアアタックなどのゲームへの挑戦を「やりこみ」と呼ぶことにはやはり抵抗がある。それは「やりこむ」までもなく普通にゲームを「やる」上であたりまえのことだと思っているからだ。まあでもこれも古い考えなんだろうなあ。もうスコアという概念自体、相当古臭いし。

というのも概ね賛成。「概ね」という理由が「挑戦 != やりこみ」というふうに読めたからで、ABAさんがそういうふうに短絡的に言っているわけでは無いんだろうけど、これを読んだ人間が諸手を挙げて「そうだそうだ!」と言いかねないのが、ちょっと心配だったから。
プログラミング言語的に書くけど、「挑戦 == やりこみ」ってのは、別に成り立たない公式ではない、と私自身は思ってます。

って、ちっとも簡潔ではないし。