今日の雑記

生きることでいっぱいいっぱい

機械は必ず故障する

ちょい前に、探し物してて引越しの荷物を漁ってたら、以前買って既に読み終えていた「計算機屋 かく戦えり(遠藤諭 著/ASCII出版/ISBN4-7561-0607-2)」を発見した。
「そういえば最近文庫本化されて再出版されてたな」というのを思い出した。その時は「ああこの本面白かったな。また読みたいから買おうかな?」と思ったが、その時は他の本を買おうとしていたので見送っていたのだ。
そんなことを思い出しつつ、ぼちぼちと読み始めた。で、「あーそうそう当時もこの言葉に膝を叩いたよなー」と思ったのが、表題の一文である。ちょっと原文を引用してみよう。

コンピュータシステムの普及に奔走した民間人 -南澤宣朗 P323 12行目から。 「国鉄オンライン座席予約システム」についての話
<前略>ともかく私たち委員は『機械は必ず故障する』といったんです。そうしたら、国鉄の事務の幹部は怒っちゃいまして、『故障するようなものは使えない』というわけです。
<中略>こうした問題の解決には、コンピュータの故障をいかになくすかという方向性でばかり考えてはいけないのです。<中略>窓口で座席予約をするのは、座りたいからんなです。<中略>出入り口の両側はあまり人が座らない。だからあそこは座席予約から外し、車掌さんに渡しておけばいいといったんです、それでコンピュータが予約を間違った場合、『どうぞ』と、そこを勧めればよい、危機管理はそういうふうにやるべきなんです。

これが今からちょうど 50年 前、1956 年の話である。コンピュータが一部の企業やマニアだけの物だけでは無くなって、いまや「家電」というレベルにまで落ち着いた現在、当時に比べれば「ハード的な故障」の頻度は減っているかもしれないが(なにせ当時話によると数十時間で真空管が切れたりするようなことが当たり前だったそうだ)、ソフト的な要因で、いわゆる「動かなくなる」ことは日常茶飯事に起きているだろう。
例え「ソフト的に動かなくなってしまった」としても、上記の言葉は当てはまる。ハード、ソフト製作者は日々「それが来る時を1秒でも後に来るように努力している」だけなのだ。
利用者にできることは、その時が来るのを覚悟しておく事だけだ。バックアップが万能と思ってはいけないし過信もしてはいけない。もちろん、バックアップはしておくことは大前提な訳だが。